ハノイ城・タンロン城遺跡

Di tích Hoàng Thành Thăng Long

2010年、ハノイ市ドンダー区、ホアンジエウ通りの東側のハノイ城と、西側のタンロン城遺跡を合わせた区域が、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。ハノイ城は当時のまま残されている門などがあり、タンロン城は、建物の遺構や建築遺物などが発掘されています。

 
タンロン城

1010年、ベトナム最初の長期王朝リー()朝の初代皇帝リー・タイトー(李太祖)は、都をタンロン(昇龍)(現在のハノイ)に定めました。唐(中国)の高駢が9世紀末に築いた城壁(大羅城)の土台を基礎としてタンロン城は築かれ、 その後歴代王朝により何度も再建されていきました。しかしグエン()朝時代(18021945)を迎えると、1802年、初代ザーロン帝は都をタンロンからフエに移しました。遷都するにあたって、重要な建築物は分解されて運ばれ、フエで再度組み立てられたのです。

 ハノイ城

 グエン朝期、タンロンはハノイ(河内)と改名、ハノイは一地方都市として扱われ、1804年から1805年にかけて規模が縮小されたハノイ城が建てられました。四代皇帝トゥ・ドゥック帝は、更にその一部を壊し縮小したといいます。そして188486年には、フランス植民地政府によって、部分的に破壊されてしまったのです。  フランス軍が1954年に撤退した後、1975年まではベトナム人民軍の最高司令部がハノイ城に置かれ、2004年にハノイ市に受け渡されるまで国防省の管理下にありました。1999年より建物の修復が行われ、2000年の遷都990年を記念して一部(端門、後楼、北門)の公開が始まり、その十年後2010年には遷都千年にあわせて残りの部分(敬天殿跡、D67の家)も一般公開が開始されました。 

端門
敬天殿跡
D67 の家と地下室
後楼
北門
フラッグタワー
タンロン城遺跡発掘現場



ハノイ城・タンロン城遺跡とその周辺




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